理系大学生の感傷日記

理系女子大学生が日々思ったことを生きた証として書いたものです。

どうも、こんばんは。そして初めまして。しがない理系大学生をやっているものです。

 

なんてありがちな一文から始めてみましたがいかがですかね。ここでの私の名前は、「AM4時」とでもしましょうか。おそらくこれを投稿するのは深夜4時頃になるからです。安直でしょう。

 

ブログ開設のきっかけでもお話ししましょうか。あまりにも自分の中で感情が処理ができなくって、どうにかして文字に起こして誰かに見てもらわないと、なんだか大きな爆弾を知らん顔して腹に抱えて生きていっているような感覚に襲われて耐えられなかったのです。

最近はそれが本当に酷くて、寝れない夜があるくらいです。

 

初回は、「愛」についてのお話でもしましょうか。ありがちすぎますかね。

 

人って、何を愛と定義するのでしょうね。私は、「自分を少し犠牲にしてでも幸せにしたい」という感情を愛と呼ぶのではないかと思っているのですが貴方はどう思われますか。

いつかTwitter で見かけた、「食べ物を半分こして分け合ったときに、大きい方を相手にあげるのが愛だ」ってツイート、核心をついてると思います。

 

AM4時には恋人が居るのですが、その人はなんだかそんな感じがしないのですよ。彼は、そうだなぁ。

「私が彼を愛する行動や行為を通して自分を愛してる」感じがするのですよ。自分の好意が先行してるというより、私が彼を愛してるということ自体がまず重要みたいです。それが間違いだとは思わないのですが、私の行為が、彼にとっての「愛情表現」に当てはまらなかったら酷く精神的に参ってしまうようでなかなか困っています。考え物だと思うのです。

私にとっての気遣いや配慮が彼にとっては苦痛な時もあるようなのです。私なりの愛なんだと言葉で伝えても納得できないこともあるみたい。つくづく愛って何だろうと思います。

 

私は恋人でも友人でも、大事な相手なら極力寄り添いたいし、叱ってあげたいし、思想が違えど受け入れて抱きしめたいと思ってます。少し自分が傷つこうが相手の感情に寄り添いていです。それぞれが正しいと思うからです。

でもみんなそうじゃないみたいで、なんだかずっと世界に取り残された気分ですね。平気で裏切ったり縁を切ったり。そんな残酷なこと私にはできない。

私が与えた愛とか許しをいつ返してくれるのかしらなんて思うのは我儘なのかしら。

 

嗚呼、もう4時を過ぎてしまいましたね。それではまた今度。

貴方が少しでも苦しい夜を過ごすことなく、安らかな眠りについて、気持ちのいい朝を迎えられますように。おやすみなさいね。